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zoom RSS 端午の節句

<<   作成日時 : 2011/05/05 00:00   >>

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端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれます。これは菖蒲が尚武(しょうぶ、武道・武勇を重んじること)に音が通じるところから、江戸時代になると、この日は男の子の成長を祝う日とされました。

菖蒲湯に入る行事も古代中国で生まれたものです。中国では5月5日は悪日で、悪事災難を逃れるため人々は野外で薬草を摘んだり、さまざまな野遊びをして過ごし、ヨモギで人形を作って門口にかけ、草で編んだ虎の冠をかぶったり、菖蒲酒を飲むなど病気や厄除けの行事をしたといわれます。また菖蒲の葉を叩く「菖蒲打ち」という遊びをしました。


兜や武者人形などを飾るようになったのも江戸時代です。男の子のいる家では節句の祝いに柏餅を配ったほか、中国の古事で黄河の上流にある滝、竜門を登ることのできた鯉は竜になるという「後漢書」党錮伝の立身出世する意味の喩えから、鯉幟を飾りました。
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登竜門
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立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっているのが「登竜門」です。成功へと至るために乗り越えなければならない難しい関門のことをいう諺。この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来します。

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大空を華麗に舞う鯉のぼりのいわれは、中国の黄河上流の「竜門と呼ばれる激流が連なった難所」があり、竜門を登りきった鯉は竜と化し、天に昇ったという古代中国の伝説にあやかったもので、男子出生の祝いとして願いを込めて空高く揚げたのが始まりとされています。また、男の子が生まれたとき、天の神様に「どうか我が子を見守ってください」と知らせる目印にするために、鯉のぼりを立てたという説もあります。

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端午の節句には、鎧や兜の武者人形を飾るのが一般的です。「鎧兜」というと、「どうして戦争の道具を飾るの」と思う方もいます。確かに戦国時代には鎧兜は合戦の道具でした。しかし、昔の平安時代、日本の鎧兜は男子のおしゃれの象徴でした。源義経は宮中へ行く時、毎回デザインの異なる鎧を着ていったので、それが評判になったともいわれています。甲冑(鎧兜)は男子の晴れ着を象徴していたのです。また、徳川家康が天下を統一して泰平の世になってからも、甲冑は作られました。その時の甲冑は戦いの道具としてではなく、武士が願いをかけて大願が成就した時、神社に奉納するために作られ、それが家内に飾られるようになりました。

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